文化に守られる
以前、娘がお笑いの研究みたいなことを自由研究でしていて、それを読んで色々思ったことがありました。
日本のお笑いは、日本の文化の枠内にあって、その枠のギリギリのところをせめてドキドキさせて、結局枠の内側に戻ってきてホッとするとか、枠を外れた発言にみんなで笑うことで安心を得るという構造になってるんだな、ということ。
文化の枠のあまりにも外に出てしまうと、しらけた嫌な雰囲気になってしまい、いかにぎりぎりをせめるかというのがコメディアンの腕のみせどころということになるわけですね。
だから、笑うことって昔から、仲間を認識して安全を確認する行為なのかな?同じ価値観を共有してるよね、みたいな、と思いました。
そして、脳トレじゃないけど、文化の枠のギリギリのところの話をされると、ちょっと混乱して頭が働いてくるという、その快感ということもあるかもしれません。
きっと、海外のどの国のお笑いもそういう構造なんじゃないかなと思いました。
昔、授業で先生から、人は自国の文化に守られて精神を病まないようにできているというような話を聞いた覚えがあります。
だから、違う文化を深く知るということは、ある意味危険なことで、精神力のある人はがんばってくださいというような話なのかなと思います。