熟達時間
若い時にはあまりそういう考えがなかったのですが、色々な人の話を聞くうちに、ものごと回数や時間がとりあえずの目安だなと思うようになりました。量。
適性ややり方のことが気になってしまうけど、まずは量。
勝間和代さんが、英語がある程度使えるようになるのに1000時間、熟達するのに1万時間とおっしゃっていたと思います。
作曲家の三枝成彰さんは、楽器のプロになるには6万時間の練習が必要で、その上で売れるか売れないかはわからないと何かの動画でおっしゃっていました。
ナイツの塙さんは何かのインタビューで、あるとき行き詰まって、会社員が働くように毎日朝から夜までネタを考えるようにしたら、その後売れたとおっしゃっていました。
この、結局は量、ということを考えていくと、職業ごとに、何時間の修行でいくら稼げるようになるかは、ずいぶん違うのではということなどにいきついて面白いです。
以前、会社員だった時に、音大出身の人が、なぜかものすごく優秀ですごいなと思ったのですが、確かに6万時間を覚悟して楽器の練習してきて、売れるか売れないかは不明、というような世界でコツコツやってきた人たちにとって、会社員として有能になるための〇千時間なんか、ちょろかったのかも?など、今になって納得しちゃいます。
そして、比較的短い時間でものになり、比較的多く、長期間稼げるところが人気で人が集まる、というのは、別に時間計って統計とってなくても、まあまあ、自然とそうなっているような気もします。
好きでないと、なかなか量をこなせない、ということになるので、好きこそ物の上手なれ、はやっぱり深い!ですね。